Hercelot LOG

変な音楽とか

noteへ移行

個人メモ


hatenablogってかなり広告出るんだね。
パソコンではadblockを利用していたので気付かなかった。
先日「ADSRの話」を連日投稿してみて、ひさびさに「スマホで自分のブログをみる」をやってみたら、読み心地こうなっちゃうかあーと改めて感じて……。


有料プランにすると広告非表示になるらしい。
ふむ、7,200円/年。
3ヶ月とか平気で更新しないのに、有料化するのはどうかなあ?
はてな有料で広告を消すか、はてな無料のまま広告と共に続けるか、別サービスへ移行するかの3択。




自分が記事を書く動機は、「情報なり個人的な知見なり、多少マニアックでももしかしたら誰かの役に立つかもしれない内容を、検索で辿ってこれるところに置いておこう」というオールドファッションなものだ。
(まあ、全く読まれることを想定してない個人的なメモも非常に多いが。)
一方の「定期更新してファンベースを広げてサロン的な展開をしよう」「PVと自分の人気を収益に変換できるようなモデルを作ろう」ではない。

後者だったなら、損益で考えれば7,200円とか払っても全然よい。はてなと一緒に商売やっていくぜ!という姿勢になれる。
でもそうすると、マーケティングを意識する必要が生じて、内容も変わってくる。
読者のボリュームゾーンを選び、ターゲットの性格や需要を的確に分析してそこに合わせる、みたいな戦略の努力が要る。

しかしたとえば先日の連載は、最初おれは初心者向けのつもりで書き始めたので、いかに簡素に読めるかが大事だったのだが、初心者には不要な情報をツッコむことを本能的に止められなかった。「シンプルに削ぐ」ことが趣味的にすごく嫌いである己の性分を改めて自覚した。
この性分は自分が記事を書く動機ともマッチしているし、ペイを考えてコストを払う方向性は合わないことがわかる。




数年前にはてなブログを使い始めた理由は、それまではてなダイアリーを使ってたから移行がラク・それなりに小綺麗だった・見出しとかデザインのカスタム性が高そうに見えたから。
noteも検討していたが、余計なデザインなどを省いて文章だけを読みやすくするコンセプトだと思っていたので、図やウィジェットメインになりそうな自分の用途とは違うかな?とパスした。

しかし実際書き始めてみて、そんなに凝った内容を書くわけでもないことに気づいたし、はてなキーワードリンクはじゃまだった。
(これも有料化によって外せる、"広告"に近い性質のものだ。そりゃはてなだって自社サービス盛り上がってほしいもんね)。



以上のことを鑑みて、やはり年7,200円払うよりは、noteに移行したほうがいいなという結論になった。
記事ログは、エクスポートするのも面倒なので、大人しくここに切り捨てていく。
というわけで、https://note.mu/hercelot をよろしく。




あとは雑談です。



「無料だが、広告が出る」という収益モデルは昨今非常に多い。
YouTubeInstagramSpotifyにブログにサイトビルダー、多くのスマホゲー。
ユーザからすれば、体験が犠牲になってでも参入しやすさは何十倍になるだろうし、サービス側も安定した広告収入が見込める。

おれが以前Twitterで「Twitterの広告すげー不快だなー」的なことを言っていたら、「広告があるから俺たちは無料で使えてるんだぜ」みたいなお叱りを受けた。
それを否定する気はないが、そうそう単純な話でもない。実際おれがそこで考えていたのは以下の点だ。

  1. なぜかつては無広告であったのか
  2. 我々に選択肢はあるのか
  3. 不快ではない広告のあり方はないのか


 

1. かつてはYouTubeInstagramも広告がなかった。YouTubeパートナープログラムが一般ユーザ開放されたのが2012年4月、Instagram広告の登場が2015年5月っぽい。インターネットコンテンツに能動的に触れてきた身として、「ここでもTVみたいに見たくないものを受動的に見させられるのか?」とがっかりもした。なぜそういう流れにあるのか?

YouTubeは、投稿者がマネタイズできる仕組みを取り入れたということだ。投稿者はYouTuberとして食っていける可能性が生まれ、YouTubeは収益の数割を貰って視聴者も増える。win-winだ。loseしているのは見たくないものを見させられている一部視聴者だ。しかも年々、広告量が増えてるよね。
Spotifyなんかは「有料会員を増やしたいので、無料会員には枷・機能制限としての広告を出す」という差別化が、最初から組み込まれていた。これも納得し、おれは有料会員になった。
InstagramFacebookという親がいる。資金繰りみたいな観点で語れるほど企業内知らないが……かつて無広告で、途中からユーザタイムラインに広告が紛れ込むようになった。
Twitterも同様である。しかし恒常的な赤字から2018年ようやく微黒字になったと聞くと、「たのしいサービスを提供する」から「企業としてやっていく」の転換点がどこかにあり、そのもがきの過程で広告の激化があったんだろうなあ、きっと。「"かつて"では立ち行かなくなる規模拡大」に合わせた広告導入なのかなと思った。
ちなみにはてなブログのベータ開始が2011年11月、最初から広告はあり、有料版の開始が2012年2月らしい。

資金はいつだって足りない。かと言ってユーザに課金を強いても逃げられる。しかし広告を強いるぶんには意外とユーザが逃げない……
広告耐性、「広告あっても当たり前だよ別にいいじゃんタダなんだからそのくらい」感性がユーザ間で育っているとしたら広告は増える一方だろうな。
その感性を否定しないけど、これが当たり前になればなるほど、「量が増え、我慢し、慣れる」の循環はガンガン加速する。あらゆる格差構造の影に潜む例のアレである。



2. 化粧品が肌に合わなかったら捨てて新しいものを買うことができる(もったいなさの観点はあるけど)。
SNSやサービスは一度使い始めるとよそに移行するためには色々なものに縛られる。とくにSNSは、ひとりでやっていてもしょうがないものなので、仲間がいるゆえに離れられないという構図になりやすい。一度始めたTwitterで、途中から広告が導入され使い勝手が嫌になっても、そうそう離れられない……

「離れられないほどのメリットを、これまでは無料で享受していたのだからいいじゃないか」と言われるかもしれない。また、利用規約で予め「途中から広告を追加しない」と約束していたわけでもない。
といえど、最初からこの使い勝手と広告量だったら使い始めていなかったかもしれない。別のサービスにみんなで集っていた可能性もゼロではない。

広告解除のために有料化プランがあるサービスは親切だ。ユーザに選択肢がある。他所へ離れられないなーと思っている人には、お金を払うモチベーションはあるのだ。
Twitterに有料プランがないので、おれはサードパーティのアプリにお金を払っていたが、Twitter社がAPIを強烈に制限して利便性が大きく下がった。
そりゃTwitter社としては広告収入が減るのだから嫌がらせもするし、違法なことをしているわけではない。ただ、公式に有料プランがあれば済む話が、選択肢を減らしてユーザを束縛・支配する方向でのみ対応されている。
「嫌ならやめろ、従えないなら他所へ行けばよいだろう」というサービス側からの主張が"もしも"あるとして、いちユーザの観点からはこれに反論できない。ただの弱者である。しかし、自分たちの社会の一部の機能を担う企業に対して、いち個人の観点からはここには議論の余地がある。

星新一ショートショートに『住宅問題』という作品がある。一部の富豪以外は無料アパートなどに住む社会で、無料アパートではどこを向いても何をしても壁や家電にCMが映し出される。とてもじゃないが無広告住居には住めない平凡な男が、CMから逃れようと頑張って安めの土地を買うも、草花の柄や虫の鳴き声がCMとして品種改良されていたという話だ。
「選択肢が存在し、一見フェアに見える。適切なコストを払えば各々の好みや価値観に合わせられるように思える。しかしコストの現実性を勘定に入れると、選択肢があるのは権益のある層に限られている。」こういった社会問題は多い。権益がないことを自己責任や努力不足と捉えるのか、社会システムの構造上の問題と捉えるのか。議論すべきなのか議論すら疎んじられるべきなのか。ケースに応じて考えてみる必要がある。



3. そもそも、広告を見ることのなにが嫌なのか?という話がある。気にならない人も多いだろうが、個人的な趣味趣向の問題だ。ガチャガチャしたデザインやダジャレを多分に含んだコピー文。人の感情を煽りたいときに有効なことはわかる。
そういうのに敏感な=防御力の低いおれが悪いとも言える。マイノリティな趣味が公共に見向きされないのは、別の趣味では痛いほど味わい続けてきたからわかる。でも、能動的に見て愚痴ってるわけではないんだぜ。勘弁してほしい。遠慮させていただく選択肢 が贅沢品になってきている。
あと、マジョリティはあれらが平気だとして、1の終わりで述べた「慣らされの循環」に居るだけの可能性も想像してみてほしい。

しかし嫌悪感のない広告というのもある。表現が趣味に合い、内容も興味ある理想的な広告ならそりゃあよいのだ。
おれのInstagramの広告は何故かかなり最適化された。「非表示にした理由」を送り続けた結果なのか、不快な広告は殆ど出ず、自分の興味の延長みたいなものばかりリコメンドされるようになった。なのでTwitterと違ってまったく不快感がない。
Twitterはかなりしんどい、地域や言語の設定を変えても日本の厳しいやつばかり出てくるのだが、最近友人のバンド(For Tracy Hyde)の広告がすごく出るようになって、それが出るたびに「しんどい広告を目にする機会をまたひとつ潰してくれてありがとう……」と感謝している。これだけ見ていたい。
YouTubeは「手のシミが気になる人へ」みたいな広告で超不潔な写真が出てきまくって今めちゃめちゃ辛い。stop seeing→why→repititiveを10回は送った(9回送っても繰り返し出るの何なんだ)のでなんとか改善してほしい。

というように、パーソナライゼーションがうまく行けば、おれがかなりラクになれる可能性がまだまだ広がっている。20代男性にアラフォー女性向けの美容グッズを薦めたり、ファンクの演奏動画の再生前に二次元美少女が奴隷のように振る舞うスマホゲーの声を聴かせても、契約上スポンサーから金はもらえるのかもしれないが広告効果は悪いだろ? やめてくれ。
だが現状そうなっていない理由をいくつか考えた。

1)パーソナライゼーションの精度に無理があるのかもしれない。プライバシーにかかわる情報をどれだけサービス側に渡すかのトレードオフだし、ユーザに詳細な設定を許したとしても面倒な訴訟リスクとかもあるし。……だからこそインスタがうまく最適化できていることにちょっと驚いてもいる。やればできるんじゃん。
2)自覚と行動がズレてると、精度も出づらい。「オレは上品なデザインが好きだ!」と思いつつエロ自撮りばっかりチェックしてる人には出会い系の広告が出るかも。それはパーソナライズ成功してるとも言えるのだが……
3)スポンサーのジャンルに偏りがある可能性。「スマホゲーに興味のある人」向けのゲーム広告は多種多様だとして、「昆虫の生態に興味のある人」向けの標本グッズ広告は少ないだろう。「音楽好きではあるが、流行りの曲に限っては見たくもない」みたいな難儀な人にポップスを紹介してもだめだ。パーソナライズしたところで、サービス側が望む量の広告を選べないかもしれない。
4)「どんなところにチャンスが転がってるかわからないから、ターゲットが外れていても衆知されるだけで意味がある」という姿勢もわからなくはない。別ジャンルに突然興味が湧いたり、本人がターゲットでなくても家族との会話のネタになったりでの広がりを狙うというのはわかる。
5)嫌悪感は興味の裏返し、それはStatsの数字の向上につながる。というのもわかる。炎上商法などと同じで効果は認める。でも迷惑だから、「それはナシ」という風潮にならないかなあ。
6)そもそもパーソナライゼーションをまじめにやる気があまりないならば。Twitter運営がもしこう言っていたとたら納得してしまう。「ユーザを分析・区分して最適化する必要など無い、うちのユーザに出す広告は、たとえば優美な旅情やホテルの金のかかった広告などでなく、もっと直接的に欲を煽動するもので良い。それはユーザが"だいたいそう"だからでもあり、TLがガンガン流れていくスタイルに適しているからだ」

まあ、"本編コンテンツと関係がない情報が表示される時点でガチャガチャするのを避けられない"というケースもある。表示方法まで問い始めると、いまあるパーソナライゼーションの範囲を超えてしまい、内容の如何でどうこうできない話になってくる。



なんか話の着地どころを見失ったけど……不適切な広告があって当たり前〜に慣れちゃうと、どんどん増やされて減らすのが大変だから、抵抗意思見せたり行動できる機会を取りこぼさないようにしたいな。

CONCRETE SOUND FOR OUR CHILDHOOD